『空に曙散らして』


朝日が見たい。
と彼女が言った。

「どうして?」
何も考えずに、そう答えを返してしまった。
そっけなさ過ぎたか・・・。そう思ったが、彼女は気を悪くした様子も無く、にこり。と笑うと、
「え?だって、年明けの朝日は特別でしょ?初日の出」

重ねた書類を机の隅に、押しのける。
処理済みの書類だ。
歳を越そうが、越さまいが毎日やらなければならない事があるのは変わらない。
此処は24時間体制だ。年中無休、完全昼夕に交代制で建物のなかは眠らない。
それでも、この時期に休暇を取りたがる職員は後を絶たないようだ。
「ああ・・・」
データの入ったディスクを、パソコンに飲み込ませる。
「もう。そっけない返事ね」
少し怒ったような声で彼女は返すも、今開いたファイルを処理するために必要な書類を、傍らに置いてくれる。
今日も、今日とて徹夜だ。
日々の業務と、同時進行の『遺伝子実験プロジェクト』の為の、データの処理が間に合わないのだ。
まだ、必要な演算と管理システムの開発は、完全とは言い難い。

そういえば、最後に身体を休ませたのはいつだろう。
ぼんやり考えていると、彼女の手が視界をふさいだ。

「さっきからタイプミスしてばっかりよ?・・・演算も、出鱈目。こんなの、使えるわけないじゃない…休んだ方がいいわ。クルーアル」

ディスプレイを覗き込んで、ルフィアは苦笑混じりに言った。

「・・・そのようだね」
大きめの執務椅子の背もたれに、体重をかけ天井を見つめる。
伸ばされた身体から、内に溜まっていた凝りが、完全ではないが開放されてゆく。
そして、少し視線をずらして、壁にかけてあるアナログ盤の時計をみる。
日の出まで、もう少しだ。

「ルフィア。朝日をみに行こうか」



此処は、見晴らしのよい場所には事欠かない場所だ。
四方は山に囲われているが、この建物はそれにまけず巨大だ。

地上24階建てのこの建物の屋上は、常春とはいえ冬空の朝方は寒い。
身を縮めて、屋上の柵によしかかる。

寒風が頬を撫でる。
「やっぱり寒いね」
コートをおさえて、彼女が言う。
笑顔で。
「初日の出・・・は知ってたよ。でも。見たことはなかったんだ。」
クルーアルは、東のまだ夜色の空を見つめて、言葉を紡ぐ。
「新年の日の出っていっても、毎日昇る太陽と何が違うんだ?・・・新しい歳の新しい太陽だなんて、そんなこと後付だ。
・・・・・・太陽はそんなこと考えて夜を明けてなんていない」
「うん」
優しく彼女は相打ちをうつ。
何を言っても、許されるような穏やかな声音で。
「朝日なんて、いつ見ても同じ。・・・特別な陽なんてないよ」
「優しいね。クルーアルは」

ルフィアが笑った。
ああ・・・・・・。そうだ・・・。

稜線が、薄く白く、朱色にかたどられてゆく。
夜色のカーテンが押し上げられて、散らばる雲にその光を遮られ、影を空に残しながら、山を黒く切り取りながら。
囲まれた湖に光を反射させながら。
朱く、ゆっくりと曙をを空に散らせて行く。

まぶしさに目を眇めつつも、朝日が昇る様を追いながら。
「…でも。君と居れば、いつでも太陽は特別な陽を地上に降らせていると思えるよ。君が居れば、僕の世界に特別が増えてゆくよ」
微笑む。
君のために。
彼女は、嬉しそうに笑った。
「そうね。私もよ。今日、この陽は何よりも特別な陽だわ。…貴方が居れば何もかもが特別よ」

風が、朝の匂いを運ぶ。
夜の静けさに、朝の喧騒が心地よく混じりはじめ、一日の始まりを祝福する。

特別な日ではなくとも。風は吹いて、雲は流れ。雨は降る。
そして、日は沈み、夜が来て。
また、日が昇る。



自分に特別じゃない日も、誰かにとっては特別かもしれない。



そんな風に思えるのは、思えるようになったのは。
――――――君のおかげだよ。ルフィア。



20060105×××   『空に曙散らして』
END
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